「わたしの普通のまんま」でいることの重要性
「ありのまま」とか
「普通」とか
って何がいいのかよくわからなかった。
それっていうのは
その人の日常や普通が平和だったり
人間関係もそこそこ良好で変える必要のない人のいうことだと思っていた。
けれど、非日常っぽいことを日常にした私が感じたことは
きっと普通で居続けている人には普通の良さがわからないということ。
きっと、「普通が一番」って言った人には
その人なりの違和感のある非日常を経験していたからなんだろうな。
でも一度それを経験する「前の普通」と「後の普通」とでは絶対に違うものだと思う。
一つの理由としては、確実に経験値や価値観が変わっているので同じものにはならないこと。
もう一つは、「非日常」や様々な経験のなかで思い浮かべた過去の日常は“美化”され、
それはきっともうその人の「理想の普通」となっているからだ。
わたしの思い描くいまの「理想の普通」。
叶うかな。
非日常の中に居すぎたかな。
もう思い描く「理想」には戻れないんじゃないか。
「理想」に戻るってなにかが変だけど
普通じゃないところから、普通に戻るってなかなか難しいんだよ。
一度それをリタイアしてしまったから。
何度リタイアしてもまた立ち上がっていいものだろうか。
それとも私はもうだめだよ、私には合わないよ、エネルギーの無駄だし
これからかかわる人に迷惑かけることになるよ、やめておきなよって…
自分に言葉をかけ続けるべきなのだろうか。
では。